「礼儀正しい反逆児、奥田愛基(あき)」 (Libération.fr より)


Aki Okuda. Le révolté poli - Libération



礼儀正しい反逆児、奥田愛基(あき)



2014128


右派政権が作った自由を阻害する法律に、熱心に抗議する日本人の学生がいる。

その彼は、20分以上の遅刻を申し訳なさそうにする様子もなく、ゆっくりと現れた。時間厳守が最低限の礼儀とされる日本では珍しいことである。


澄ました顔のサラリーマンや孤独な高齢者が行き交う横浜の喫茶店で、すぐに彼だとわかった。体を揺らせながら歩く彼の名は、奥田愛基。まばらな顎ひげを丸顔に生やし、腰パン、頭にはNikeのキャップという恰好だった。ダブついた緑のジャンパーには、SASPLと印刷されている。SASPLStudent against secret protection law (特定秘密保護法に反対する学生有志の会)の略。一年前に発足されたこの会は、“特定秘密に指定された事項を公開しない法律”の廃止を求めている。政府はこの法律によって、防衛、原子力、対テロリズムなどに関する膨大な情報を国家機密に指定する権利を持つことになる。情報を漏洩したり、情報を得ようとする行為には、懲役10年が課されるという。「これは危険な法律です。憲法で保障されている権利を侵害する、曖昧な文面だらけです。これでは、政府に不都合な情報を何十年も隠蔽することに利用されてしまい、誰が逮捕され、どのように監視されているのかも全くわからなくなります。国民の自由が脅かされています。」と、奥田愛基ははにかんだように言う。


政治学を学ぶこの22歳の大学生は、129日と10日に予定されている秘密保護法施行に対する抗議デモに、“少なくとも千人”が集まると期待している。10月末、彼と100人近い仲間は、2千人のデモ賛同者を集め、歩き、踊った。先導するサウンドカーからは、ラップやヒップホップが流れ、右派総理・安倍の言動に抗議するキャッチフレーズが繰り返し叫ばれた。そのほとんどにはフランスの反ファシズム、アラブの春、ボブ・マーレーの言葉が引用されていた。彼らは、微々たる資金で声をあげ、少ない人数をものともせず人々を驚かせながら渋谷の街を闊歩した。


ロードローラー

参加した学生たちは、安倍が進めるロードローラーのような計画に対抗する列車に乗り込んだ。弁護士、学者、小説家、一般市民・・・政治的行き場をなくした一部の左派系日本人が、原発再稼働反対、国家の反平和主義反対、戦争まっしぐらの国家主義(首相の周りで盛んな歴史修正主義)反対、を掲げて集まっている。そこに、都会に溢れるソーシャルメディアを有効利用したSASPLが参戦し、参加者の平均年齢を押し下げた。独自の方法・スタイル・言葉で秘密の扉から現れた彼らは、“老いと退屈、保守と悲観が交錯する政界”を取り囲む背景の一部になった。大人の多くが、賢い消費生活を規律正しく送る若者をよしとする中、SASPLは、軽快に抗議することの喜びや楽しみを提示できる若者がいることを世間にみせつけた


躾け社会


しかし、奥田愛基とその仲間たちが、活動的な若者のあるべき姿を示し、先導する立場を確立できたかというとそうではない。デモがしばしばテロと同等の扱いを受けることもある国において、手応えといえば自己満足以上のものは得られていない。この国では、同調や同意を追及することは、犠牲や服従の積み重ねを意味する。「日本人は公益や政治に対して無関心な傾向にあります。」そう評価するのは、30年以上日本社会を研究している社会学者、ミュリエル・ジョリヴェ。「“お任せします”という表現がすべてを物語っています。日本の教育システムは、学生に問題提起をさせないようにできています。どうせ何も変わらないんだからやってみるのは無駄だと思わせ、おとなしく人の話を聞きくように躾けられるのです。この国は、ある意味、自動操縦で動いていると言えます。」


それに騙されなかった奥田愛基は、残念そうにうなずく。「2千人なんて、大した数ではありません。でも、学生の多くは、僕たちのやっていることに無関心ではないはずです。」慎重な活動家である彼は、デモにこだわる扇動者と見なされないように気をつけている。「学生に参加してもらうためには、政治を前面に出したり、怒りをあらわにしたり、過激なことを言って怖がらせるのはご法度です。そうやって耳を貸してくれる人はいません。」嫌な目にも遭った。ツイッターやフェイスブックで、国家主義者が侮辱の代名詞として連呼している“在日韓国人”呼ばわりされたり、“政治に関わってないで勉強しろ”と命令されたりした。でも彼は気にしなかった。


決断

2012年、彼は気分が乗らないまま中道左派政党に投票した。1214日の選挙では、特定の政党を推すことなく、学生に投票するよう働きかけるつもりだ。ヒップホップと映像が趣味の奥田は、格好いいことには熱心で、授業はサボりがちな学生の代表格のように見える。しかし、エレクトロのクラブに通う傍ら、ジル・ドュルーズ(フランスの哲学者)やミッシェル・フーコー(フランスの哲学者)、マックス・ヴェーバー(ドイツの社会・経済学者)を読んでいるという。インタビューの間、フランスの極右政権の台頭、物申すフランス国民、欧州の経済危機について、絶え間なく質問を浴びせてきた。日本の南方で生まれた彼は、“ゆとり”教育を受けた世代である。彼らは、授業数を減らし個々の才能を開花させることに重点を置いた教育を受けた。周囲の貧しい人々に手を差しのべる牧師の長男として生まれた彼は、お世辞にも輝かしい少年期を過ごしたとは言えない。学校や近所で受けたいじめを理由に家を出たのは14歳のとき。「薬物に手を染め、自殺未遂する友人たちには懲り懲りでした。」思春期の少年は、親元を離れる決断をした。「日本版マザー・テレサのような父親に愛想をつかしました。ホームレスを家に泊めるので、私的な場所が家にはありませんでした。」両親との凄まじい口論の末、小さな孤島の里親のもとで生活することになった。高校卒業後、いとこを頼って横浜に移住。夜中にコンビニでアルバイトをしながら学費と生活費の足しにした。2011年3月11日に津波が東北を襲ったとき、国際学部で海外の人道支援などを学ぶ予定だった大学生は、見たこともない日本の姿を目の当たりにする。それは、東京が興じている間に、津波で壊滅し放射能に汚染される東北の悲劇だった。

彼は、一年間、毎週末被災地に通い続けた。事態が一段落したころ、数ヶ月間カナダで“考えを巡らす”ためにアルバイトに没頭した。世界の門戸を開き、英語を身につけながら旅をした。日本の心地よさは忘れた。複数国に広がったアラブの春、そこで目覚めた若者たちに興味を抱いた。特定秘密保護法を取り巻く議論が、カナダから戻った彼を迎えた。“脅かされている”と直感してから、「もっと遊んで」と言う恋人の不満を避けるようにして、抗議行動に没頭した。恋人の要求をすんなり受け入れるような彼ではない。




※1月6日、奥田さんご本人のツイートより、一部に事実誤認の表現があったようなので、原文の範囲内で修正しました。